三菱一号館美術館 〒100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2 |
Créer au féminin − Femmes artistes du siècle de Madame Vigée Le Brun |
マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展 |
―華麗なる宮廷を描いた女性画家たち― |
音楽の都ウィーンからフランスに嫁いだマリー=アントワネットは、同じ年に生まれた一人の女性画家エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランと意気投合し、王妃の肖像画家として重用しました。彼女が描く、華やかで最新流行のドレスをまとった肖像画は、王妃のみならず、ヴェルサイユの宮廷の女性たちをも瞬く間に魅了し、ヨーロッパ中にその名を馳せていったのです。 |
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン (1755-1842) 画家の家に生まれたヴィジェ・ルブランは、幼くして才能を現わし、聖ルカ・アカデミーの会員となって本格的な画家としての道を志します。1776年、画商のジャン=バチスト・ピエール・ルブランと結婚する頃には、ヴェルサイユにあったルイ16世の宮廷に出入りするようになり、マリー=アントワネットと出会います。王妃と親しく心を通わせる友人ともなったヴィジェは、「王妃のお抱え画家」 として幾点もの見事な王妃の肖像を筆頭に、王族や貴族たちの肖像、そしてその周囲の 「市民」 たちや自身の 「自画像」 の数々を通して、やがてフランス革命による激動に直面してゆく宮廷文化の最後の姿を描き留めていきました。1789年に大革命が勃発し、一人娘を連れてフランスを逃れたヴィジェ・ルブランは12年に及ぶ亡命生活を余儀なくされます。ブルボン家による君主制は革命の流血の中に崩壊し、やがて、ナポレオンの帝政を経て、新しい市民の時代が始まろうとしていたのです。 |
会期: 2011 3/1(火)〜 5/8(日) 展覧会は終了しました。 開館時間:水・木・金 10:00〜20:00、火・土・日・祝 10:00〜18:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜休館 (祝日の場合は翌火曜日休館。5月2日(月)は開館) 監修:クザヴィエ・サルモン (フォンテーヌブロー宮殿美術館館長) 会場:三菱一号館美術館 (東京・丸の内) |
マリー=アントワネットの画家 「ヴィジェ・ルブラン」 展 プレス内覧会: 三菱一号館美術館 |
本展は、我が国ではじめて本格的にヴィジェ・ルブランの画業を展覧すると同時に、彼女のライバルであり、対照的な運命をたどったラビーユ=ギアール (1748-1803)
等、18世紀フランスで華々しく活躍したロココ時代の女性画家たちの創造豊かな世界が堪能できる、貴重な機会であります。 |
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【展覧会の構成】 ―「プレスリリース」「カタログ」の、本文より要約して掲載しています。― |
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本展では、フランス革命により、断頭台の露と消えた王妃マリー=アントワネット。奇しくも彼女と同じ年1755年に生まれたひとりの美貌の女性画家ヴィジェ・ルブランを軸に、「女性の時代」
とも呼ばれる18世紀の旧体制期から質実で合理主義的な19世紀の市民社会に移り変わろうとする激動の時代です。フランスの優れた女性美術家の作品に焦点をあて、マリー=アントワネットの肖像を含むヴィジェ・ルブランの作品23点をはじめ、ラビーユ=ギアール、ヴァレリエ=コステル等、女性芸術家たちの作品約80点を展示する世界的に見ても希少な展覧会です。 |
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生きる歓び ヴェルサイユ宮殿に小離宮が、広大な庭園の一角に設けられ、ロココ美術として知られる優雅な美術が、宮廷からやがて市民の生活に浸透していった。女性画家たちもこうした社会を背景に、絵筆をふるう機会が増えることになった。王侯貴族の女性は、嗜みとして美術や音楽を学ぶ伝統があったが、この時代には趣味の域を超えた本格的作品を生み出すに至る。 マリー・レクジンスカ、フランス王妃 《音楽のレッスン(ヴェルサイユ宮殿、中国風居室の彩色パネル)》 《役人訪問》 油彩、カンヴァス 278.5 x 97cm、《昼食の用意》 油彩、カンヴァス 278.3 x 97.2cm 個人蔵 |
異国の女性画家たち イタリア、とりわけローマはヨーロッパの美術家たちにとって長い間讃仰の対象であった。ルイ14世治世下の国力の充実と文化政策から、美術愛好家と美術通がひしめくパリが、異国の画家たちに魅力ある活動の場所になり始めるのが18世紀である。アンナ・ドロテアは、ドイツ派の画家で風俗画によって、王立美術アカデミーに入会した。 アンナ・ドロテア・テルブッシュ=リジウスカ、通称テルブッシュ夫人 《ショワズール公爵夫人、ルイーズ=オノリーヌ・クロザ・デュ・シャテル》 油彩、カンヴァス 65 x 53.8cm パリ、個人蔵(C.P.D.H.S.) |
女性の世紀 女性が社会で大きな活動の場を見出したのは18世紀である。例えば貴族や豊かな市民の奥方は自らの邸宅に哲学者や文学者を招いて、芸術や政治までも題材に会話を楽しんだ。サロンと呼ばれるこの社交の場からは様々な文化が発信され、野心に燃える若者には出世の緒を見つける貴重な機会となった。 ジャン=オノレ・フラゴナールとマルグリット・ジェラール? 《盗まれた接吻》 油彩、カンヴァス 45 x 55cm サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館蔵 |
王立絵画彫刻アカデミーの女性画家たち 17世紀中葉の王立絵画彫刻アカデミーの誕生が、フランス美術の進展にどれほど大きな貢献したかは言うまでもない。17世紀当初アカデミーには6人の女性会員を数える。しかし1706年にアカデミーは女性の入会を禁じ、再び迎い入れるのは1770年のことであった。女性会員は男性裸体モデルによる修業ができないため、古代文学や聖書のエピソードを題材にした歴史画からは遠ざけられた。 アデライード・ラビーユ=ギアール 《ショワズール公爵、エチエンヌ=フランソワ》 1786年 油彩、カンヴァス 144 x 111.6cm ワドソン、ロスチャイルド・コレクション蔵 |
ヴィジェ・ルブランの肖像画 彼女は肖像画家ルイ・ヴィジェ (1727-1767) の娘で、1778年から、王妃マリー=アントワネットお気に入りの肖像画家となり、王妃の忘れ難い肖像画を残した。ヴィジェ・ルブランは、身近な家族からヴェルサイユ宮殿の王族、そして亡命先の諸外国(イタリア、ウイーン、サンクトペテルブルク)の宮廷の貴族たちまで、数多くの華麗な肖像画を描いている。 エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン 《ジョヴァンニ・バイジエッロ》 1791年 油彩、カンヴァス 129 x 94cm ヴェルサイユ宮殿美術館(ルーブル美術館より寄託) |
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン (パリ、1755年-パリ、1842年) 《フランス王妃、マリー=アントワネット (1755-1793)》 油彩、カンヴァス(楕円) 79 x 63.5cm パリ、個人蔵(C.P.D.H.S.) |
フランス王妃、マリー=アントワネット (1755年-1793年) |
1755年 ハプスブルグ家オーストリア大公マリア・テレジアと夫神聖ローマ皇帝フランツ1世の娘、ウイーンで誕生。 1770年 14歳のとき、フランス王太子ルイと結婚式をヴェルサイュ宮殿で挙行。 1774年 ルイ16世の即位によってフランス王妃になる。 1789年 バスチーユ襲撃事件、フランス革命勃発。 1791年 国王一家国外逃亡に失敗、ヴァレンヌ事件。 1792年 オーストリアに宣戦布告。王党派が処刑。 オーストリアのハプスブルグ家のお姫様に生まれ、輿入れ先がフランス国王ルイ16世。国というものが王家のものから国民のものになろうとしていた歴史の大転換期にたまたま遭遇してしまった。国は王家の私有財産といった感覚の中で育った王妃、 …「国は国民のものだ」 と主張する革命家たち、…王妃にしてみれば、嫁入り先で困難にぶつかったために実家に助けを求めただけにすぎなかった。しかし、革命の世では、一国の王妃が他国に国家機密を流すことは国家に対する反逆罪であった。 |
ヴィジェ・ルブランは王妃のことを、「背が高く、見事なスタイルで、腕は非常に美しく、手は小さくて完璧な形をしていた。…王妃はオーストリア国民に特有の卵形の顔をしていた。」と描写している。「王妃と共に朝食をとるために、国王は毎朝やってくる。それからヴェルサイユ宮殿へ戻って引見を行い。2時に昼食をとりに帰り、読書をするために庭園へ出かける。…また政務を行うためにヴェルサイュ宮殿へ戻る。そして9時に夕食に帰る。」… |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会サイト:http://mimt./vigee/ 美術館サイト:http://mimt.jp 主催:三菱一号館美術館、日本経済新聞社 特別協力:ヴェルサイユ美術館 後援:フランス大使館 協賛:女子美術大学 協力:日本航空、大日本印刷、J-WAVE |
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